大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)6472号 判決 1968年8月29日
原告
森田新一
被告
谷秀昭
主文
一、被告は原告に対し金六五六、八二五円および右金員の内金六一〇、三七四円に対しては昭和四三年三月一三日から、内金四六、四五一円に対しては昭和四三年七月一七日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
一、原告のその余の請求を棄却する。
一、訴訟費用はこれを四分しその三を原告のその余を被告の負担とする。
一、この判決の第一項は仮りに執行することができる。
一、但し、被告において原告に対し金五〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第一原告の申立
被告は原告に対し金三、二九七、五六九円および右金員の内、金三、二五一、一一八円に対しては昭和四三年三月一三日(同月一二日付請求の趣旨拡張申立書送達の日の翌日)、金四六、四五一円に対しては昭和四三年七月一七日(同年六月一九日付拡張申立書送達の日の翌日)から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員(民法所定の遅延損害金)を支払えとの判決ならびに仮執行の宣言。
第二争いのない事実
一、本件事故発生
とき 昭和四一年三月一六日午前一時一五分ごろ
ところ 豊中市服部元町一丁目三二番地先交差点
事故車 普通乗用車(大五せ三一八一号)
運転者 被告
受傷者 原告(当時二六才)
態様 原告は、阪急タクシーの乗客として右交差点において信号待ちのため停止中、前方を注視しないで北進してきた事故車に追突され、負傷した。
二、事故車の運行供用
被告は事故車を所有し自己のために使用し運行の用に供していた。
三、示談の成立
原告の傷害は昭和四一年以内に完治する見通しであつたので、それを前提としたうえ、被告と原告との間では左の通り示談が成立している。
被告は右示談金を即日支払つた。
示談成立時期 昭和四一年七月五日
示談条項 (1)同年度中の治療関係費は、被告がその都度すべて支払う。
(2)右以外の慰謝料、逸失利益の損害等一切に対する賠償として被告は金四六〇、〇〇〇円を即日支払う。
第三争点
(原告の主張)
一、責任原因
被告は左の理由により原告に対し後記の損害を賠償すべき義務がある。
根拠 自賠法三条
該当事実 前記第二の一、二の事実
二、損害の発生
(一) 受傷
(1) 傷害の内容
頸椎鞭打損傷
(2) 治療および期間(昭和・年・月・日)
(イ) 入院
(a) 自四一・三・一六―至四一・六・三〇
(b) 自四二・五・二九―至四二・六・一四
(ロ) 通院
堺病院、阪大病院、愛染橋病院、小西外科病院等へ通院、治療をうけたが、鞭打症後遺症のため更に二、三年治療を続けなければならない。
(二) 療養関係費 合計 八一、七六九円
原告の前記傷害の治療のために要した費用は左のとおり。
(1) 市立堺病院治療費 二一、四六九円
但し、昭和四二年六月二日以降分。
(2) 同病院通院交通費 一、二〇〇円
但し、前同。
(3) 阪大病院治療費 二、三三五円
但し、昭和四二年五月八日以降分
(4) 同病院通院交通費 一、七〇〇円
但し、前同。
(5) 愛染橋病院治療費 八、七九五円
但し、昭和四二年六月二二日以降分
(6) 同病院交通費 二、三八〇円
但し、前同。
(7) 小西外科病院治療費 四三、八九〇円
但し、昭和四二年一月一日以降分。
(三) 逸失利益
原告は本件事故のため左のとおり得べかりし利益を失つた。
右算定の根拠は次のとおり。
(1) 職業
松尾呉服店見習店員
(2) 収入
(イ) 昭和四一年三月
給与、月額一九、六〇〇円
(ロ) 同年四月以降翌四二年三月まで
昭和四一年四月以降本社員となり給与、月額二八、〇〇〇円、年間賞与八〇、〇〇〇円を支給される予定であつた。
(ハ) 同四二年四月以降翌四三年三月まで
右期間中は、給与、月額三五、〇〇〇円、年間賞与一二〇、〇〇〇円を支給される予定。
(ニ) 同四三年四月以降翌四四年三月まで
右期間中は、給与月額四五、〇〇〇円、年間賞与一七〇、〇〇〇円を支給される予定。
(3) 休業期間(昭和・年・月・日)
自四一・三・一六―至四四・三・三一
(4) 逸失利益額
前記休業期間中の逸失利益額は金一、六七五、八〇〇円
内訳
(イ) 昭和四一年三月分 九、八〇〇円
事故当日から月末までの半月分
(ロ) 同年四月以降翌四二年三月分
(給与)二八、〇〇〇円×一二+(賞与)八〇、〇〇〇円=四一六、〇〇〇円
(ハ) 同四二年四月以降翌四三年三月分
(給与)三五、〇〇〇円×一二+(賞与)一二〇、〇〇〇円=五四〇、〇〇〇円
(ニ) 同四三年四月以降翌四四年三月分
(給与)四五、〇〇〇円×一二+(賞与)一七〇、〇〇〇円=七一〇、〇〇〇円
(四) 精神的損害(慰謝料) 二、〇〇〇、〇〇〇円
右算定につき特記すべき事実は次のとおり。
(1) 前記の如く再度にわたり入院治療を受けた。
(2) 後遺症のためあと二、三年の治療を要するが、現在も、むかつきがあり、通常の仕事も運動もできない。
(3) 将来一人立して呉服店を経営するにつき大きな打撃をうける。
(五) 弁護士費用
原告が本訴代理人たる弁護士に支払うべき費用は一八〇、〇〇〇円である。
三、損益相殺
原告は前記示談金四六〇、〇〇〇円の支払を受け、これを昭和四一年中の逸失利益の損害および慰謝料として次のとおり充当した。
(1) 逸失利益の損害につき金三二一、八〇〇円。
(2) 慰謝料につき金一三八、二〇〇円。
四、示談の効力について
前記示談は、原告の傷害が昭和四一年内に完治することを前提として締結されたものであるところ、原告の傷害が同年内に完治せず昭和四二年以降も治療継続中であることは前記のとおりであるから、右示談はその効力を失い原告の本訴請求を何ら拘束しない。
(被告の主張)
一、原告の請求の不当性
(1) 原、被告間には前記のとおり示談が成立しており、原告の傷害は昭和四一年中に完治している。したがつて、右示談金を支払つた被告には何らの残債務はなく、原告の請求は理由がない。
(2) 原告は後遺症を主張するが、入院当時の原告の主訴以外にこれを認むべき何等の検査結果もなく科学的資料は皆無である。かえつて、原告自身の主訴によるも退院時には症状がすこぶる軽快していることが診断されており、その後、被告から原告に再三医師の所見提出を求めたが、終にこれが実現をみなかつたこと自体、症状の全的欠如を示すものである。
(3) 原告は、呉服店の見習店員であつたと主張しているが、事故当時すでに右勤務をやめており、警察官に対しては当時店員(コツク)として勤めている旨供述している。また、事故前から原告は呉服店店員・バーテンなど全く関連性・持続性のない臨時的職業を短期間に転々としていることからみて一定の職業に永続きしない性格であることが明らかであり、呉服店店員本採用ならびに昇給を前提とする原告の主張が失当なことは多言を要しない。
二、示談の効力について
仮りに、原告の傷害が昭和四一年内に完治していないとしても、少くとも昭和四一年中に発生したと考えられる損害については前記示談により解決ずみであるから、被告は、同四二年以降に生じた損害についてのみ責任を負うにすぎず、原告の本訴請求中昭和四一年度中に生じた損害についての請求が理由のないことは明らかである。
第四証拠 〔略〕
第五争点に対する判断
一、責任原因
被告は左の理由により原告に対し後記の損害を賠償すべき義務がある。
根拠 自賠法三条
該当事実 前記第二の一、二の事実
二、損害の発生
(一) 受傷
(1) 傷害の内容
原告主張のとおり。(〔証拠略〕)
(2) 治療および期間(昭和・年・月・日)
(イ) 自四一・三・一六―至四一・六・三〇
右期間中、小西外科病院へ入院、治療を受けた。
入院当初、頸項部痛および両上肢のシビレ感あり、頸椎の牽引をし、コルセツトを着装。
退院時、頭痛は残存していたが自覚症状は軽快。
(ロ) 自四一・七・一―至四二・五・ごろ
右期間中、三日ないし一週間に一度位の割合で小西外科病院へ通院し、理学療法、マツサージによる治療をうけた。
退院後も数ケ月間はコルセツトを着装。
(ハ) 自四二・五・八―至四二・五・下旬ごろ
右期間中、阪大病院において前後三回、診察、治療をうけた。
(ニ) 自四二・五・二九―至四二・六・一四
小西外科病院、阪大病院の紹介により、右期間中市立堺病院へ入院。但し、入院三日目位に同病院の医師より、原告の症状につき精神的なものだから退院し就労してはどうかと勧められたが、脳波検査をうけその結果判明をまつて退院、脳波検査には異常所見なしと判定された。
(ホ) 自四二・六・二二―至四二・一〇・二五
右期間中に七、八回、愛染橋病院に於て治療をうけた。
(ヘ) 自四二・一二・ごろ―至四三・四・中旬ごろ
右期間中は病院での治療はうけず、原告の母親が知人より指圧を習い自宅で指圧治療を行なつていた。
(ト) 自四三・四・中旬ごろ以降
前記小西外科病院へ通い投薬による治療をうけている。
(〔証拠略〕)
(3) 残存症状
(イ) 昭和四三年六月一八日現在、頭痛のほか頸部に負担がかかつたり手を使つたりしたあと両手がしびれる等の自覚症状がある。
(ロ) なお、今後の治療見込みについて医師による明確な判断はなされていない。
(〔証拠略〕)
(二) 療養関係費 合計八〇、一四九円
原告の前記傷害の治療のために要した費用は左のとおり。
(1) 市立堺病院治療費 二一、四六九円
原告主張のとおり。(〔証拠略〕)
(2) 同病院通院交通費 三二〇円
阪急電車(池田―梅田間)、片道六〇円。地下鉄(梅田―難波間)、片道四〇円。南海電車(難波―堺間)、片道六〇円。
原告本人入退院時の二回分。(〔証拠略〕)
(3) 阪大病院治療費 二、三三五円
原告主張のとおり。(〔証拠略〕)
(4) 同病院通院交通費 九六〇円
阪急電車(池田―梅田間)片道六〇円。梅田―阪大病院間タクシー、片道一〇〇円。原告本人三回分。(〔証拠略〕)
(5) 愛染橋病院治療費 八、七九五円
原告主張額を下らない。(〔証拠略〕)
(6) 同病院通院交通費 二、三八〇円
原告主張のとおり。(〔証拠略〕)
(7) 小西外科病院治療費 四三、八九〇円
原告主張のとおり。(〔証拠略〕)
(三) 逸失利益
原告(二九才)は本件事故のため左のとおり得べかりし利益を失つた。
右算定の根拠は次のとおり。
(1) 職業
事故当時、呉服店「松屋」見習店員。
昭和四一年四月以降、社員に採用予定(後記註(1)参照)。(〔証拠略〕)
(2) 収入
事故当時、月額一九、六〇〇円
昭和四一年四月、月額二八、〇〇〇円に昇給予定(後記註(1)参照)。(〔証拠略〕)
(3) 休業期間(昭和・年・月・日)
自四一・三・一六―至四一・六・三〇(後記註(2)参照)。(〔証拠略〕)
(4) 労働能力、収入の低下、減少
自四一・七・一―至四三・一二・三一の期間中事故前のそれの二割五分は低減(後記註(2)参照)。(〔証拠略〕)
(5) 逸失利益額 合計二八六、六七六円
(イ) 前記休業期間中の逸失利益額は金九三、八〇〇円。
内訳
(a) 昭和四一年三月分 九、八〇〇円
原告主張のとおり。
(b) 同年四月ないし六月分 八四、〇〇〇円
二八、〇〇〇円×三=八四、〇〇〇円
(ロ) 前記能力、収入低減による逸失利益の同年七月一日における現価は金一九二、八七六円(ホフマン式算定法により年五分の中間利息を控除、年毎年金現価率による、但し、円未満切捨)。
(昭和四三年六月までの二年分) (同年七月から一二月までの分)
(二八、〇〇〇円×一二×一・八六一四+二八、〇〇〇円×六×〇・八六九五)×〇・二五=一九二、八七六円
註(1) 職業、収入について
〔証拠略〕(原告の警察官に対する供述調書)によれば、原告が、昭和四一年三月二九日、取調の警察官に対し、同年三月から友人の食堂でコツクとして勤めている旨供述していることが明らかであり、この点に関する被告の主張は一応理由のないものではないが、右供述記載につき、原告は当公判廷において当時給料が少なかつたので松屋に勤務しながらアルバイトとしてコツクをしていたものである旨説明しており、松屋の従業員(経営者の息子)たる証人芝橋も、原告は昭和四〇年九月ごろから松屋に勤務しており事故当時は見習で給与は月額一九、八〇〇円であつたが、同年四月一日からは見習期間を終えて給与も月額二八、〇〇〇円に昇給する予定であつた旨供述していることに徴すると、事故当時の原告の職業、収入については前示のとおりと認めるのが相当である。
尤も、〔証拠略〕によるも、原告は事故前にバーテンをして三、四年、工員として約一年半位働いた後右松屋に勤務し始めたと云うのであり、右原告の職歴や前記小西外科病院退院後、雇主から解雇ないし退職を勧められた訳ではなく必ずしも同店を辞めざるを得なかつたとは認められないのに自から一方的に身を引いたような状態になつていることおよび甲二二号証に記載された松屋における給与、賞与額もおよその見込みにすぎないこと(〔証拠略〕)に徴すると、原告がその主張の如く松屋に継続勤務し、その主張の如き収入を得べかりしものと認めるにはいささか疑問があり、原告の主張をそのまま採用することはできない。しかし、右証言によれば少くとも事故後約半月後の四月一日から給与が月額二八、〇〇〇円に昇給することは確実であつたと認むべきであるから、原告の同日以降の逸失利益については、原告が事故前と同様の健康体で就労すれば少くとも月額二八、〇〇〇円程度の収入は得られたものとして評価、算定するのが相当である。
註(2) 休業期間、能力、収入の低減について
原告が本件事故による受傷のため、昭和四一年三月一六日から同年六月三〇日まで小西外科病院に入院していたことは前示のとおりであり、右期間中の休業はやむを得なかつたものと認めるのが相当であるが、右退院時には頭痛は残存せるも自覚症状は軽快していたと云うのであり、かつ、昭和四二年五月末ごろ市立堺病院へ入院した際にも肉体的には就労可能の状態にあるとして同病院の医師より就労を勧められている事実(〔証拠略〕)に徴すると、原告の症状が就労を全く不能にする程のものであつたとはたやすく断定し得ない。尤も、原告にはなお前示の如き症状が残存しており、前記の治療経過に照らすと、原告が前記小西外科病院を退院後直ちに就労したとしても、労働能力が低下した状態にあり相当期間中は事故前の健康体で就労した場合に比して給与を減額されることもやむを得ないものと推認されるので、かかる意味での逸失利益はこれを肯認すべきであるが、前示症状や治療の経過に徴すると、右労働能力の低下を肯定すべき期間については前記小西外科病院を退院して約二年半後である昭和四三年一二月末ごろまで、労働能力およびこれに伴う収入の低減は右期間中を平均してみれば事故前のそれ(但し、収入については月額二八、〇〇〇円)の約二割五分位と認めるのが相当である。
右認定以上の損害については、本件における立証の程度では本件事故と相当因果関係にあるものとは認め難い。
(四) 精神的損害(慰謝料) 六〇〇、〇〇〇円
右算定につき特記すべき事実は次のとおり。
(1) 前記本件事故の態様
(2) 前記傷害の部位、程度とその治療の経過
(五) 弁護士費用
原告はその主張の如き債務を負担したものと認められる。しかし本件事案の内容、審理の経過、前記の損害額に照らすと被告に対し本件事故による損害として賠償を求め得べきものは、金一五〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。(証拠、日本弁護士連合会および大阪弁護士会各報酬規定、弁論の全趣旨)
三、損害相殺
金四六〇、〇〇〇円は前記逸失利益の損害および慰謝料に按分充当されたものと認めるのが相当。(〔証拠略〕)
四、示談の効力について
原、被告間において昭和四一年七月五日に締結された前記示談が、原告の前記傷害が同年中に完治することを前提とするものであることは当事者間に争いがなく、成立につき争いのない甲二一号証、乙一号証の一(いずれも示談書)には「但し、四一年度に於て全治するものとして上記示談取交したるも、以後この事故による後遺症が発生した場合は甲(被告)に於て全責任を負う」旨記載されていることに徴すると、右示談契約には、もし、原告の傷害が同年中に完治せず、あるいは当時予想し得なかつたような症状の発現により原告の治療が当事者の見通していたようには推移しないことが明らかとなつたような場合には、右契約を解消するものとする旨の合意(解除条件)が付されていたものと解するのが相当である。しかるところ、原告の傷害が昭和四一年中に完治しなかつたことは前示のとおりであるから、右示談は解消され原告の本訴請求については何ら拘束力を及ぼさないものと解するのが相当である。よつて、この点に関する被告の主張は採用し得ない。
第六結論
被告は、原告に対し金六五六、八二五円および右金員の内、金四六、四五一円(前記小西外科病院治療費四三、八九〇円および市立堺病院治療費の内昭和四二年一〇月二五日支払の二、五六一円の損害金)に対しては昭和四三年七月一七日(同年六月一九日付拡張申立書送達の日の翌日)から、右以外の金六一〇、三七四円に対しては同年三月一三日(同月一二日は拡張申立書送達の日の翌日)から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払わねばならない。
訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行および同免脱の宣言につき同法一九六条を適用する。
(裁判官 上野茂)